散りゆく桜の公園で
友人からランチに誘われ、うまいラーメンを食べた帰りにふっと立ち寄った休日の公園には家族連れであふれかえっている。
大人になったら、家庭を持って、子供を産み育てて、
ああやって次世代を担う人材の成長を見守ることが最上級の幸せで、
人間としての最善の使命なのかな…
それをやらない人、できない人は不幸なのかな…
義務を怠った人間として生きる価値がないのかな…
思い切って声に出してしまえばいいのに言葉が出てこないのは、自分自身でもそれが勝手な思い込みだと感じているからなのだろう。
過去には戻れないし、過去の悔しさは無くならない。
でも、私の「悔しさ」「悲しみ」はものすごく時間をかけてゆっくりゆっくりと癒やされてゆくのを感じている。これからどれだけの時間をかければ良いのだろう。