urashimono

otoshimonoの裏日記。すなわちemixがつらつらと適当に書きます。

ドラゴンクロー

昨日は中学校の同窓会に参加。在学当時新設校だった母校も今年で30周年だそうで、ということは約30年ぶりの再会となる。
たくさんの人に会って、たくさんの人と話したけど、自分の半生を話せたのは結局親しい友達にだけだった。
私の人生の断片は、同じ年数を生きてきた人から見たら羨ましいものになる。それは、自分が特別じゃなくて誰にとっても同じ。人の生きざま(の断片)が羨ましくみえる。同窓会に参加する人たちはリア充の集まりだとも言われるけど、受験や就職に失敗したとか、離婚したとか、家族が亡くなったとか、病気になったとか、ネガティヴイベントは多かれ少なかれ誰にでもあることで、それも含めて受け入れることが自分の人生なのだと痛感する。
さまざまな価値観、生き方が認められるようになってきた今の世の中、たとえ同じ年数を生きてきた人間でも人生の約半分を辿ってきた時点ですら本当に多様な生き方をしていることに気付かされた。
おそらく女性のほとんどが今は別の姓を名乗っているかもしれないし、ほとんどの人がこどもを産み育てた経験をもっているのかもしれないけれど、誰もそれが当然だとかそれを前提として話すこともない。
私が教員生活を挫折してうつ病になったことだって、こどもを産み育てた経験がなくたって、誰も咎める権利なんてないし、逆に誰もそれに対して憐れむ権利もない。咎めているのも憐れんでいるのも実は自分自身で、どんなに時間がたっても赦せない自分がまだまだ存在する。
今まで悔しかったこと、悲しかったことを誰かにぶつけて、同情してもらいたいのか。自分の生きざまを評価してもらいたいのか。
そんなことを自問自答しながら迎えた同窓会。
第二次ベビーブーム全盛期に産まれた同志は、人生の岐路には常に「勝ち負け」で二分された経験を持っている。今回参加できなかった人のなかには、もしかしたら自分をいわゆる「負け組」と位置づけ、敢えて欠席した人もいるかもしれない。
かといって、参加した人たちがいわゆる「勝ち組」だと思っているかといえばそうではなくて、酸いも甘いもすべて受け入れて前向きの力にしてきた、そういう自負があるのだろう。
何が言いたいって、参加した女性はみな美しく艶やかで、男性は凛々しく威厳に満ちていて、それはそれは立派な40代に成長してるなぁ、ってことです。お世辞じゃないです。他意もないです。