urashimono

otoshimonoの裏日記。すなわちemixがつらつらと適当に書きます。

もうひとつの29年

父が亡くなった29年前、昭和61年はちょうど私が中学へ入学した年だった。どういうわけか私立の小学校に通っていた私は、そのまま系列の中学へは入学せずに公立の中学校への進学を選んだ。ちょうどこの中学校の学区内に私が通っていた私立小学校があったので日頃から生徒の様子を知ることができたのだけど、良い噂は聞いたことがなかった。というより悪い評判の方が目についていた。
私立のぬくぬくとした環境で6年間育ってきた自分が、いきなり全校生徒1400人超のマンモス公立中学へ入学するというプレッシャーは計り知れず、当時流行っていた「校内暴力」「いじめ自殺」などの言葉が頭の中を巡り、入学式当日から完全にビビっていた。
思えば小学生の頃、地元校区の小学生からはお金持ちのボンボンが通う私立小学生ということでよくからかわれていた。その、からかっていた小学生と同じ中学へ通う・・・いじめに遭ったらどうしよう、そんな漠然とした不安がさらに拍車をかけた。
ところが、私の不安は結論から言えば取り越し苦労だった。
いじめられるどころかむしろその逆で、私を慕ってくる女子、(この時代に良く居る)ちょっかいを出してくる男子たち、とにかくクラスの中で誰一人同じ小学校出身だった人がいなかった自分は皆にとっては興味深い転校生のような存在だったのだ。
学級担任は30代の女性国語教師。どんなときも全力で私たちのことを叱ってくれたし、時には親身になって問題を解決へと導いてくれた。その先生の熱意もあって、クラスはとても仲が良かった。そんな仲間にも救われた。
実を言えば、この中学校で過ごしたのはたったの1年。2年からは半数の生徒が新設校へ通うことは入学前から決まっていた。そんなこともあって中学1年時代は一日一日がとても貴重で、少しでも中身の濃い中学校生活を送ろうと張り切っていた記憶がある。


今回、お盆で帰省というのともう一つ、そんな中学1年時代の同級生に会うという重要な用事があった。たった1年しか同じ学び舎で過ごさなかった友達、そして一緒に新設校へ通った友達、それぞれが29年ぶりの再会。

卒業学年のクラス会は多けれど、入学年のクラスメイトがこうして集まれるのもSNSが発達したおかげだけど、みな私が考えていたのと同じように中学1年の頃のクラスが印象深かったと話していた。
もちろん、あの頃は懐かしい。でも、ここにこうして集まった友達は今を生きている。あれから30年も経てば困難のひとつやふたつ当然あるわけで、それを今だからこそ笑って語れる人、まだ語りたくない人それぞれだけど、あの頃とぜんぜん変わらない生き生きとした笑顔は何を言わずとも今をしっかり生きている証拠だ。