urashimono

otoshimonoの裏日記。すなわちemixがつらつらと適当に書きます。

カミングアウト4

がん検診という名目のもと受診した婦人科では、筋腫とともにポリープも見つかった。ポリープというのはとりあえず取るというのが常らしい。以前も子宮がん検診の際にポリープを取ってもらったけど、とりあえず取って悪性か良性か検査するということで、検診から日を改めてポリープを取ってもらった。
その際、もう一度子宮筋腫の手術について話をした。貧血もないし、腰痛や排尿困難などの症状もでていないことから、まずは3ヶ月後に筋腫の様子を検査していくことで同意。ただし、閉経までにはまだ間があるから10年以内に手術の覚悟はしておいたほうが良いと念を押された。あと、インターネットで病気のことを調べるのは不安を煽るだけだから止めたほうがよい、とも。うむ、確かに。図書館か書店で医師が著者の本でも探すことにしよう。
カウンセリングにしても筋腫にしても、こういうことを人に告知するタイミングというのはなかなか難しい。自分の身体のことなので、言わなければ言わないで済むことだし、逆に告知したところでどうなるものでもない。辛いことには違いないけど、そんなの単なる不幸自慢に過ぎない。
そんななか、友人の懐妊報告があった。
もちろん私がこんな状況になっていることを彼女は知らない。ただ私に取ってはタイミングが悪過ぎた。よほど「実は私も(子宮筋腫と診断されてね…)」と口からでかかったけれども必死で飲み込み「…それはおめでとうございます」と絞り出すのが精一杯だった。
こどもを持つか持たないか、それはotoshimoとも話し合って全会一致で可決されてるし、欲しいと思ったことはないのだから不妊に悩んだ事も一切ないのに、こどもの話となると漠然と複雑な思いになる。SNSで我が子の写真を嬉しそうに投稿する同級生の姿に対しても、少子化問題に取り組むニュースに対しても、ショッピングセンターでベビーカーを引く父親の姿に対しても、家族愛をテーマにしたドラマに対しても、とにかく複雑な思いになる。
「悔しい」
もしかしたらそうなのかもしれない。世の中の多くの人々が幸せだと感じる姿に自分のスタイルが合わないことに。
「人それぞれなんだからこどもを持たない夫婦だってこの世にはたくさんいる」「何十年もうつ病に悩まされて闘ってる人だっている」そんなことを人から諭されたり自分で考えたりすると、自分自身が立っていられるようにするには少数の「条件付き」のなかで受け入れるしかないのかと思うと、「悔しさ」が生まれるのかもしれない。