urashimono

otoshimonoの裏日記。すなわちemixがつらつらと適当に書きます。

medium(後編)

「普通」って、一体なんだろう。。
電話口で「普通」を連発する母に対し、私は意見した。普通普通〜と言うけれど、それはお母さんの考えている普通であって、別の人からしてみれば普通にはならない。「家族のために朝ご飯の支度をしない既婚女性が普通じゃない=人としておかしい」というのはあまりにも短絡的だよ、と。例えば「共働き夫婦なら普通は夫や同居人が家事を分担するでしょう」という普通だってあるのだし。最近の若い家庭には当然の話というわけでもなく、それぞれ境遇が違うのだからそもそも「普通」なんて固定的な論理は存在しないのに。
だけど昔からみんな普通にしてきたんだと反論された。でもそれは母本人が辛いと思いながらも文句一つ言わずしてきたことにすぎない。「みんな」というのは家族〜親戚のコミュニティの中で「普通」とされてきたことであって、母の友人界隈で同意と共感されてきたことであって、全世界の(いや日本でもいいけど)女性すべてがあるべき姿として語られてしまっていることに、私はどうしても納得いかなかった。
それはもしかしたら、「普通は結婚したら子どもをつくって家族のために尽くすのが昔から絶対的な女性の役割だ」と間接的に自分が言われていると感じたからかもしれない。電話口で「そうだね〜。わかるよお母さん」と同意してしまったら、自分が決めた生き方を否定してしまうことになる、それが反発の言葉になったのだろう。


コーヒーショップのM(ミディアム)サイズは、タリーズにはタリーズの、スタバにはスタバの、ドトールにはドトールのMサイズがあって、それぞれ同じ分量ではない。ユニクロのMとGAPのMだってぜんぜん違う。
確かに一定のコミュニティのなかで「普通」が定義されることで、人間は自分の生き方を見失わずにいられるのかもしれない。昭和の時代には、その「普通」のコミュニティの範囲が広かった。だけど現代は、その定義が「普通」だと認識してくれるコミュニティの範囲は狭くなっている、ただそれだけなのかもしれない。