urashimono

otoshimonoの裏日記。すなわちemixがつらつらと適当に書きます。

ハタチよりもハタチ

愛媛新聞のコラムに鴻上尚史さんがステキな文章を書いていた。私がみたのは記事の写真しかなかったのでこちらを引用させていただく。
今日は成人の日。
自分が20歳の頃どうだったかといえば、実を言うとあまり憶えていない。それより前の子どもの頃の記憶はすごくあるのに。きっとそれは、それまで《「問題には必ず正解がある」と思い込まされて》いたのに、急に正解がみつからなくなったからなんだと思う。
このあいだ実家に帰ってotoshimoに指摘されてあらためて気がついた。私は親や先生の言うことだけをすべて信じて生きてきたんだと。それに関して、自分が今まで全く気付いていなかった訳じゃない。先生の言うことを聞いていれば受験にも合格するし良い大人になれる。本気でそう思ってた。子どもの頃の身近な大人といえば、先生や親くらいしか居なかったから。
だけど、19歳で先生や親元を離れて生活を始めた時、急に広がった世界に戸惑い、行き場を失った。今まで信じてきたものがなくなり、一体なにを信じれば良いのかわからなくなった。
惰性で25歳までなんとかきたけれど、そこで体験したのが、暗くて長い孤独の闇だったんだ。
鴻上さんのコラムは、今まさに二十歳を迎えようとしている人に書かれたものだけど、二十歳をとうに過ぎ、もういちど二十歳を迎えようとしている年齢にさしかかった私がストンと落ちた文章だった。
「人生の問題には正解がある訳じゃない」という《答え》を導くのに私はかなりの年月を要した。中には20年で《答え》が見つかる人もいるなかで。twitterやブログなどで、自分よりもずっと若い人たちが自分が今やっと気付いたようなことをさらっと述べてたりすることに、たまに悔しさを感じる。だけど、そういった若者達がこの先の人生が幸せになるのかどうかはわからないし、逆に何十年経っても《答え》が見つからない人だっているはずで、それらもすべて含めて「人生の問題には正解がある訳じゃない」んだ。