urashimono

otoshimonoの裏日記。すなわちemixがつらつらと適当に書きます。

ダーマの神殿

子どもの頃、なにかの節目があるごとに必ずと言っていいほど先生から将来自分がなにになりたいのか、どんな職業に就きたいのかを問われる機会に見舞われた。詰めが甘くて優柔不断な私はそんなこと言われても実のところなにも考えてなくて、適当に漠然とした職業を言ってはその場を取り繕っていた。
幼稚園児の頃はピアノの先生かバレエの先生、小学生の頃は薬剤師かアナウンサーか英語の通訳・・・だいたいどれも脈絡ないし欲張りすぎだし。中学生の頃学級文集で「15年後の私」と題して書くことになった作文には、さすがに一つに絞れと諭され、当時ちょっとだけ皆より先に英語を学んでいて得意だったことから英語の通訳になったと仮定して文章を書いた。
高校生になって大学選ぶ際に将来について考えることがいよいよ現実的になっても、具体的な将来像が見えずにただ漠然と、他の教科より英語がちょっとだけ良かったことから英語で受験できる国立大学を選んで・・・で、教育学部。今思えば薬剤師のほうを選んで、英語と同じくらい得意だった数学をもっと真面目にやる気出して理系に進んでたら、自分の人生ももうちょっと強気になれたかもしれないなーとも思う*1
英語で受験したはずの教育学部も、入ってみたらなぜか音楽専攻。


音楽の道にだけは進まないって決めてたのに。。
そういうのも運と言うのかな。40歳間近になってまさか自分の編曲した楽譜が、本当に出版できるとは思ってもいなかっただろう。

大学の卒論で作曲を選び、当時はまだ黎明期だったパソコンの楽譜浄書ソフトをすこしだけ触ってたことがきっかけで、その数年後にソフトを購入。教員辞めてやさぐれてた時に大学時代の恩師から楽譜出版社を紹介され、少しずつ浄書の仕事をするようになって、ついに自分が趣味で書き溜めた楽譜を出版するというこのような機会に恵まれた。


今でも、これからの将来自分がなにになりたいのか、社会の中でどういう立場として身を置きたいのか、それでもまだはっきりと見えないし、自信もなければ迷いもある。だけども時はずっと刻んでいるわけで、一度向けられた運が指し示す方向へ進んでいくことだけは漠然とわかる。

*1:ま、結局薬学部を受験する学力が追いつかずに教育学部だったかもしれないけど…