urashimono

otoshimonoの裏日記。すなわちemixがつらつらと適当に書きます。

みんなって誰よ

誰しも経験あると思うけど。
クラスでなんか知らないけど特定の文房具が流行ったりして。何人もその文房具を使っているものだから何となく自分も欲しくなって買ってみたりして。あと、テレビ番組。翌日その番組について話をするから、話についていけないのがイヤで一生懸命観たりして。
こどもの頃のコミュニティの範囲ってだいたい40人そこそこのクラス単位だから、そのうち10人くらいが同じモノを持っていたり同じ話題で盛り上がったりしていると、かなりの確率でクラス中の大ヒットになる。たとえクラスで流行っていなくても、そのうち自分と仲の良い数人の間で流行っていれば流行認定だ。
 子「みんな持ってる(やってる)もん」
 母「みんなって誰よ」
 子「○○ちゃんと、△△さんと、●●くん」
 母「みんなって3人じゃない!」
そんな会話も何度となく経験していると思う。だけど、大人になった今だってそういう経験をする機会がある。本当にみんなじゃないのに「みんなやってる(持ってる)」という錯覚を起こすのだ。
例えばSNSの「近況アップデート」。フィードに流れてくる「●●なう」の写真の数々は、今まさにココに居る状況を映し出していて、それがキャンプ場であったり、アミューズメント施設、河原や公園、お祭り会場、海岸……などなどそれはそれは楽しそうな光景が目に入ってくる。特にこの大型連休中の投稿はかなりの確率で「○○に来てます」。そんな写真を眺めているうちに・・・なんだか自分だけ家で引きこもってて周囲のみんなが行楽地で愉快なひとときを過ごしているのではないか、という錯覚に陥ってしまう。
だけどよくよく考えてみると、家で引きこもっている人はそもそも投稿すらしていない。行楽写真を投稿しているのは、実はそこに行っている人だけなのだ。240人フェイスブックのお友達がいて、例えば20人が行楽写真を投稿していたとしても、本当は1割も満たないはずなのに、その1割弱に対して「みんな楽しそうで、いいなぁ…」となってしまう。
世の中にはそういうイメージや先入観が溢れている。でも、どんなに理屈ではわかっていても実体のない「みんな」に翻弄される自分はまだまだ凡人だなぁ。。