urashimono

otoshimonoの裏日記。すなわちemixがつらつらと適当に書きます。

変わってくこと、変わらずにいること

ちょうど一年前、ツイッターにこんなことを書いていた。

40年近く生きてれば人間いろいろあるよね。私が20代にうつ病で苦しんだことも、知らない人のほうが多くなった。辛かった経験を知ってもらいたいという気持ちも少しあるけど、でももう、それを敢えて語る必要もないのかもしれないな。だって逆に、40年間波瀾も何もない人生のほうが虚しい。

それから一年経ち、FbでもTwitterでも友達がさらに増えた。そのなかには中学高校時代の同級生や、大学や高校のずっと年下の後輩、それから近所の居酒屋やお菓子屋さんの店主などなど、1年365日生きているなかでの小さなご縁が繋がって大きな輪へと広がっていった。
そうか、1年前にこんな記事を書いていたけど、それすらも知らない人たちとたくさん繋がっている。今、私が公開しているさまざまなプロフィールページには、大学卒業後について多くを語っていない。こうして皆の前に元気な姿を晒せるまでに、自分なりに悩み苦しんできたことなど、おそらく言わなければ分からないだろう。


先日、じつに25年ぶりに中学の同級生とFB上で繋がり、彼女から「昔のまま全然変わってないからすぐわかった」とメッセージをいただいた。
「全然変わってない」という言葉は以前別の同級生からも言われたことだけど、素直に喜んでよいものか一瞬迷う言葉でもある。自分の中では確かに、大学卒業して、結婚して、病気になって仕事を辞めて、容姿から何から決して子どもの頃以来全然変わってない生活はしていないはずだったから、20数年の時を経て「変わっていない」という印象を持たれるほど病気をする以前の昔に「戻った」という意味では素直に喜んでもいいのかもしれない。
でも、20数年も経てば容姿も何もかも「変わる」はずなのが人間なのに、自分が本当は何も成長していないのではないのだろうか、という疑問も同時に持たずにはいられなかった。


女性の理想として「いつまでも変わらない」という褒め言葉があるけれど、ただそれは言葉通り若いままなのではなく、本当に重要なのは若々しいということだ。「若い」と「若々しい」は全然違う。私の中で「若い」は、今そこに止まっている状態で、「若々しい」は常に活性化している状態というイメージがある。
子どもの頃はどんなにはしゃいでも疲れないけど、大人になってから子どもと同じ運動量でも疲れずにいられるようにするには普段から鍛えておくことが必要で、歳を取れば取るほどその鍛錬に時間を費やさなければならない。それを考えれば「全然変わってない」のは嘘で、変わらないために日々努力を増やしているのが「変わった」部分なのだろう。
さて、私の「全然変わってない」は理想に近づいてゆけるのだろうか。