urashimono

otoshimonoの裏日記。すなわちemixがつらつらと適当に書きます。

ドヤ顔展覧会

約一週間ぶりにさいたまへ戻り、まずは年賀状の整理。
普段から会って話をしたりするような人は少ないのに年賀状は多く、まぁ学生の頃から賀状をやりとりしている人たちから新しく知り合った人たちまで蓄積されていくので年々少しずつ増えているのだけど、個人事業主になって仕事上のおつきあいがある方々にも出すようになったためにその数およそ350枚。
枚数についてはいいとしても、年賀状というのはその人の一年間の心や身体の変化が一枚に詰まっているのだなぁと感じます。
学生時代まではほとんどが皆同じような生活で、内容だって「今年は○年生だね」みたいな普遍的未来しか書けなかったのに、いつしか「結婚しました」「家族が増えました」「引っ越しました」「家を買いました」「転職しました」「昇進しました」「姓が戻りましたw」「再婚しました」などなど・・・皆の人生は、人それぞれで、誰一人として同じことがなくて。
それなのに、ドヤ顔写真の賀状を眺めながらまた沈んでる自分がいる。
もう、どれだけ他人の人生を羨めば気が済むのか。
今シーズンの年末年始は、FBやtwitterに自分の近況を写真でリアルタイムにアップして、その都度たくさんの「いいね!」を頂いた。あとになって客観的にタイムラインを見返してみると、こんなにリア充な人もいないんじゃね? ってくらいの充実ぶりだと思う。まさかその間に、自分が人生を無駄に過ごしてるんじゃないかとか急に情けなくなってまた落ち込んで泣いてた日があったなんて、誰も気付かないと思う。
頂いた年賀状のなかには今年私が出したものへのお返事だと思われるものもあって、「相変わらず幸せそうだね」て書いてあった。その言葉に悪意はないけど、他人からしてみれば私の賀状だって「ドヤ顔写真」に写ってるのだ。
年賀状は、それぞれのさまざまな人生が一堂に会する展覧会みたいなもので、自分とは違ったタイプの生活が見えることで自分の生活を見直す良い機会でもあるのだけど、そういえばそれがイヤになって年賀状のおつきあいを辞めたいと丁寧に書いてきた友達が昔いたことを思い出した。彼女だって結婚して家族が増えて、決して人に恥ずかしいと思われるような生活じゃなかったはずなのに。
そう考えてみると、年賀状で一喜一憂する人は私だけじゃないのかもしれない。皆、一年に一度、自分の人生を振り返り、一歩一歩かみしめながら生きている。無駄な人生なんて最初から何処にも存在しないのだろう。