urashimono

otoshimonoの裏日記。すなわちemixがつらつらと適当に書きます。

石ケン先輩

昨日直球ジェネレーションパンチを喰らったemix、どこかに鈍い痛みを感じつつ、ふとみつめた練習場所である音楽室の窓サッシ部分の落書きに同世代のぬくもりを感じました。

私が中学に入学したのが昭和61年。当時の中学校は生徒数もピークで、校内暴力やいじめが社会問題にまでなった時代。校舎内の至る所に落書き・・・確かにあったあった。思い出した。
「来年(64年)」が西暦じゃなくて元号(昭和)だと直感でわかったのは、右側の落書き「あっくんサイコー」。あっくんといったら当時爆発的人気を誇ったアイドルグループ光GENJI佐藤敦啓クンですよ。似たものに「かぁくんサイコー」てのもあったなぁ。
「あ」や「ん」の書き方にも当時流行った丸文字の面影が。今は携帯メールでやりとりをするほうが多いのだろうけど、あの頃はそんなものが一切なかったわけで、手紙のやりとりはすべて手書き文字ですよ。女の子なら一度は真似して書いた丸文字。授業ノートやテストじゃ先生に怒られちゃうから控えめに、友達同士の手紙にはバリバリ使ってましたね。みんなが。
もう一つ元号だとわかる理由は、当時の子どもたちにとっては「昭和」しかありえなかったということ。いちいち4ケタの西暦使うよりも昭和●●年のほうが馴染み深かったわけで。まぁ西暦も下二ケタに略して使う方法もありますけど数が大きかったですし、学校行事では通常元号を使ってますからね。日常生活に西暦利用が多くなったのは平成と昭和が混在して以降のような気がします。
この落書き、来年が64年ということは昭和63年のうちに書かれたわけだけど、その当時昭和64年が7日で終わってしまうなんてもちろん知らなくて、そのあと「平成」なんて元号に変わることだって知らなくて、結局昭和64年の2月14日は訪れなかったんだよね。
石ケン先輩にもきっと通じて……ないよな。こんなトコに書いてる時点で。