urashimono

otoshimonoの裏日記。すなわちemixがつらつらと適当に書きます。

いいね?

昨年の始め頃日本にもfacebookの波が押し寄せると噂に聞き、夏に登録してから一年経ちましたが、確かにその予言通り今年に入ってからユーザー数が爆発的に増えました。原則実名登録にも関わらず気軽に人とコミュニケーションが取れることから、毎日のように誰と誰が友達になっただのいう情報が流れてきます。SNSの底力全開です。
利用者が増えて皆自分の近況を報告するようになれば、その近況見たさにログイン数も増える。遠く離れた友達や、久しぶりに繋がった友達ともすぐ近くにいるような気分で話ができるのもSNSの醍醐味です。しかしユーザーが増えたことで起きてくる価値観の違い、利用スタンスの違いも目立つようになってきました。


私の友人が、FBの特徴のひとつである「いいね!」ボタンに違和感があると言い出しました。
彼の言い分はこうです。例えば誰かが訃報を近況報告したとき「いいね!」ボタンを押すなんて、無神経すぎるにもほどがある、悲しみに対して「いいね」という感情は生まれない、と。
私はFBは「気軽に共感しあえるSNS」だと思ってましたので、「いいね!」ボタンは「世界一シンプルに共感を表すボタン」と認識してました。ところが言葉そのものの意味を大事にする日本人のユーザーが増え、「世界一シンプルに共感を表すボタン」の言葉が「いいね!」だということに違和感を持つ人々が増えてきたのかなと思います。
そもそもアメリカ発祥であるFBの「Like」という言葉を、日本語訳されたとき「いいね」という言葉に置き換えたわけですが、置き換わったことで「good」「nice」「fine」「excellent」といったニュアンスのほうが強く感じられるようになってしまったのでしょう。
かといって「いいね!」に代わる妥当な言葉があるのかといえば……んーなかなか見つからない。。そういえばはてなにはスターがあるけど、それも意味合いとしては同じだよね。


友人はさらに「もしも悲報に対して共感するのであれば、いいねボタンを使わずにコメント欄にそれに相応しい言葉を書けば良い」と述べてます。なるほどそうすることで、誰が見ても悲しみにいいねと思っているのではないという気持ちは表せる・・・か。
まぁそのように感じている人なのであれば、彼がネガティブ近況をアップしてるときにはいいねボタンを押さなければよい話なのでいいのですが、これはFB利用者すべてが理解できる話かといえばそういうわけではなく、コミュニティの範囲が広い人であればあるほど「いいね!」ボタンを「世界一シンプルに共感を表すボタン」として使っているのも事実です。
また、「なぜ友達が自分の悲報を報告したのか」を考えれば、皆にもこの悲しみを分かってもらいたいという願いがあるからであって「悲しい目に遭ってよかったね」などという意味で「いいね!」するような友達はそもそも友達じゃないだろう、とも思うのですがね。。。


そんな彼の意見記事のあとに、タイムリーに別の友人が、長年連れ添った愛犬が死んでしまったことを報告してまして。。。もちろん「いいね!」をつけられていましたよ。私はヒトゴトではない愛犬の死に対して声をかけてあげたいと思いコメントしましたが、なかなか言葉が見つからなかったり、コメントをするまでの時間を持ち合わせていなかったりする人だっていたでしょう。そんなときの「いいね!」なんじゃないのかなとも思うのです。
確かに「いいね!」という言葉の意味を考えてしまうとちょっと「?」な部分もあるとは思いますが…



だから私は逆に、誰もが「いいね!」と思えるような記事しか書かないのです。いや、もう、それでいいじゃん。