urashimono

otoshimonoの裏日記。すなわちemixがつらつらと適当に書きます。

やめてけれジコジコ

都内で私用のため昼間は外出。いろいろ用事を済ませて帰りの電車に乗っていたら、最寄り駅の6つ前で緊急停止。車掌さんのアナウンスで2つ先の駅にて人身事故があったことを知った。
時刻はちょうど夕暮れ時。学校や職場から帰宅する人々で車内にもホームにも人が増え始めた頃だったので、しばらく運転を見合わせることが分かると、バスやタクシーを利用するために電車を降りた乗客もたくさんいた。ま、私たちは用事はもうすべて済ませて帰る途中だったから、運転再開まで電車の中で待つ事にした。
首都圏を走る鉄道での人身事故はなにも珍しいことではないのだけど、通勤通学で鉄道を利用したことがない私にとっては、事故後のダイヤの乱れに遭遇することはあってもたった今近くの駅で起こったばかりという状況に遭遇したことがなかったので、1時間近く電車の中で待つ事になる経験は実は初めて。
人身事故といっても、誤って人がホームに転落して電車と接触したとか、転落しなくても身体の一部が接触したとかそういうケースも多いのだけど、やはり一番多い原因は自殺のようで、鉄道会社としては自殺の手段にならないような対策はしているもののなかなか減らないのが実情なのだろう。
今回の事故が自殺だったのかどうかは分からないけど、生きる気力を無くし、世の中すべてがイヤになって死にたいという気持ちが浮かんだ時、自分の存在価値を誰にも分かってもらえずただ薬を飲んだり首を吊ったり高いところから転落したりして発見が遅れるよりは最期に不特定多数の人々に「迷惑をかける」という形で自分の存在を今すぐ世に知らしめたいという願望が起こったりするのかな……などと考えてみたら、まぁそんな気持ちもわからなくもないな、なんて。
だけどやっぱり「自殺」という行為は虚しくて、どんなにがんばってもその方法では自分の存在はおろか、何のメッセージもアピールできない。
Twitterでも電車の運転見合わせに対して怒りをあらわにしたツイートがあった程度だし、小一時間で電車は動き出し、事故のあった駅も通ったけど意外にも人気もなく静まっていた。救出には職員皆が全力をかけて迅速に対応した結果、短期間で通常通りの風景に戻ったとはいえ、何事もなかったかのような光景にひとりの人間の存在なんてそもそもちっぽけにすぎないな…と。そして同時に、悩んで悩み抜いて自殺を選ぶことの虚しさを感じずにはいられなかった。